salt2012’s diary

漫画の感想を読みたての気持ちのまま書き殴ります。

漫画【ワンピース】 Dの一族、ひとつなぎの大秘宝、ルフィの夢についての考察

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↑こんなに長くなるなんて思わなかった漫画1位。こんなに深い内容だと思わなかったランキングも1位。

 

 

 随分期間が空いてしまいましたが、突然思い付いたので長々と書こうと思います。

 

 

 長いので3行で、という方は最後までいくと結論だけ載せてあります。4行になってしまっているのはすみません。

 

 

 ではタイトル通りに漫画ワンピースのひとつなぎの大秘宝は何か、とDの一族について、さらにはルフィの夢について考察していこうと思う。そしてそのまま最終回予想までしてみました。

 

 

 一応すぐに単行本派の方々には軽度のネタバレが入りますので注意して下さいね。

 

 

 

 

 最近のワンピースで、ラフテルの由来が「笑い話」であることが分かった。それはワンピースを発見した時にロジャーが思わず笑ってしまったから、とのことである。更に度々出てくる「自分達には早すぎた」の意味も含めて考えてみた。

 これほどワンピースの正体について具体的に触れられてきたということは、この長い物語もいよいよ最終回に近付いてきているのだろう。そのためきっとこれからの考察はワンピースがかつてのように全くの未知の物であった今までの考察とは全然違っていくのだろうと思う。

 

 

 

 

  以下本文

 

 

 

     まずDの一族について

 

 

 いきなりだが、Dの意味に関しては半月とか色々考察されている。ただ、現在ではそれについては情報が足りなすぎる上、月の民とか言われてもそれがなんなのかは正直良く分からないので今回はあまり扱わない。

 では何について扱うのか。それは本当にたまに出てくる、Dは悪魔を意味するdevilのことではないかという考察である。

 自分も初めてこの考察を聞いた時には、正直あんまりピンと来なかった。なんとなく無理やり感もある上、別に上手くもないし、悪魔の実があるとは言ってもねぇ…って感じが凄かった。なんならむしろこれだとしたら少し残念かもしれない、とまで思っていた。でもDの一族がもし全員悪魔の実の能力者達だったとしたら、って考えると少しもしかして、って思った。Dの名を持つ者とは、悪魔の実の能力者のことを指す名前だったら、と。

 

 まず、ワンピースは歴史的な話しでいうと、800年以上前の空白の100年に、Dの一族は今で言う天竜人に滅ぼされたとされる。そしてその天竜人達が作ったのが、現世界政府である。

 その戦争がどうして起こってしまったのか。それはもしかしたら、Dの名を持つ者達は悪魔の実によって色々不思議なことが出来たことから、普通の人間達からは差別されるような対象であったのかもしれない。ただDの王国の思想は魚人や現天竜人を含む普通の人間に対しても差別のない自由な国であったのだろう。ただそれは全員が能力者であったため、もはや魚人も含めて何事にも偏見がなかったというのもあったのだろう。ルフィの言う、この海で一番自由なやつが海賊王だ、とはこの時の彼らの思想が実は少し関係しているのかもしれない。実際今にして思えば天竜人達は、彼らから見た“普通ではない”魚人達に対してすごい偏見を持っていた。きっと彼らの思想は普通の人間こそが至高、だったのだろう。もちろん心では何も出来ない普通の自分達、という劣等感もあってDの一族を滅ぼすことにしたのだろう。当然Dの人間にも不当な差別から、偶然だった可能性もあるが、その能力によって彼らに暴力事件など良からぬことを起こしてしまったことがあったのであろう。それが戦争の引き金となってしまった。

 またその当時の事件が、今でも続く行儀の悪い子へのしつけ方の唄の歌詞にも現れてしまっているのだろう。もしかしたら貴族出身の土地だったから、なおさらそんな唄が残りやすかったのかもしれない。ちなみにロビンの過去編では、分かりやすく能力者であるロビンがいじめにあるなどの差別をされている。

 

 ではどうやってそんな能力者達を相手に滅ぼすことが出来たのか。実は滅ぼし方自体は、案外単純である。もしDの一族が全員悪魔の実の能力者達であったとしたなら全員海に落とせばいい、つまり天竜人は彼らの住む島ごと破壊することで、全員海に沈めたのである。

 

 かつてオハラの研究では、今はない巨大な王国があったと言っていた。それがDの一族の王国であったのであろう、ということはなんとなく分かる。そう、沈められたのはその王国のあった島だったのだ。

 

 では次にやり方は?となる。それこそ至極簡単、プルトンである。

 昔クロコダイルがプルトンは一発放てば島一つ跡形もなく消し去ることが出来ると聞く、と言っていた。伝聞調だが、内容がやや具体的なのはかつて島を一つ実際に消し去った歴史が、少しだが伝わっていたからなのだろう。つまり現天竜人達はDの一族の王国があった島を、プルトンで破壊したのだ。

 

 恐らくだが、ネフェルタリ家が天竜人になることを拒否したのは、プルトンの使用に当時反対した、もしくは島一つ消し去ってしまった罪悪感故に、なのだろうと推測出来る。とはいえネフェルタリ家も天竜人になるチャンスはあったようなので、理由は恐らく後者であると考えられる。というかそもそも、もし前者であるならば、天竜人になること自体が他の家系から許されなかっただろう。また島一つを破壊したという罪の連帯責任感を背負わされたくなかったのだろう。

 度々語られるロビンのオハラの島一つが消されたことへの忌避感は、そんな歴史を知ってしまい、かの王国と自分達の境遇を重ねてしまっていたからなのだろう。きっとロビンがポーネグリフを読んでもルフィ達に何も伝えていないのは、その事が世界政府に知られてしまうと再び戦争が起こってしまうことを危惧して、なのだろう。

 

 そして天竜人になることを拒否したネフェルタリ家は、プルトンが生んだ悲惨な結果を繰り返さぬようにプルトンの存在を守ることを代々受け継ぐようにした。では誰から守っているのか。答えは当然天竜人からである。かつてスパンダムは五老星に、古代兵器は我々が所持し、この大海賊時代を打ち払うのです、と言っていた。つまり天竜人はプルトンが手に入れば、再び使用するつもりでいるのである。

 ただコブラもその歴史をどこまで知っているかは置いておいて、天竜人ではないとは言え、かつての誤ちを繰り返そうとする海賊のクロコダイルには当然プルトンのありかを渡せなかった。きっと当時ロビンがクロコダイルと手を組んでいたのは、歴史を知りたかっただけではなく、プルトンによって起き得る戦争を食い止めたかったのもあるかもしれない。

 

 

 余談だが、プルトンで島一つ破壊しても戦争の勝者のような気持ちでいられたメンバーの子孫があのような天竜人達であるのは、もはやある意味当然なのかもしれない。

 

 更に余談だが、Dの一族が全員悪魔の実の能力者だったとしたなら、Dの王国は悪魔の実の群生地であったとも考えられる。それがプルトンによって島のほぼ全員の能力者が死んでしまうとどうなるか。悪魔の実は世界中にバラバラに生まれてしまうことなる。かつては一つの王国で取れた実が世界中に散らばってしまった結果、海の秘宝とまで言われるほど価値を上げることとなる。そしてサンジや黒ヒゲが読んでいた悪魔の実の図鑑は、島が群生地であったDの一族が作った、と考えられる。さすがに天竜人達も世界に散らばってしまった悪魔の実の詳細を受け継ぐためにはその図鑑は残す必要があったのだろう。ポーネグリフのように壊れないわけでもない、紙の図鑑が現存しているのはそのためである。もちろん生き残りのDの名を持つ者達は名を持つだけなので、全員が能力者というわけではない。つまりガープやサウロのような非能力者がいても不思議ではない。

 また戦争のきっかけとなった歴史は空白の100年となってしまったので、現在残っているしつけ方の唄としては能力者、ではなくDの一族だけを悪者としている。そのため能力者への偏見は現在は少なく(前述のロビンのような例もあるが)なっており、特に海賊達や海軍では強くなることを目的にいわゆる普通の人達が自ら進んで食べることもある。ただし、普通でない人達への差別は現在は主に魚人達に向けられてしまっている。またブルックが飛ばされた国も含め、自分達から見た普通ではない人達への差別は潜在的には残っているようではある。また現在でもいわゆる非能力者である普通の人達は悪魔の実を食べることは良くないことだ(それでも欲しがる人はいるので値段は高い)、との認識は第一話のシャンクス達や後のバギーも含めてロビンをいじめた子供達だけでなく、年齢の高い海賊達すら持っていることがわかる。そして天竜人ではないが貴族であったサンジの家には、悪魔の実図鑑があったことから、父親は実の有用性を認識していたのは確かであろう。現にサンジは偏見なく、目的はやや違っていたとはいえ、悪魔の実であるスケスケの実を食べることを望んでいた。

 

 

 

  ひとつなぎの大秘宝の正体について

 

 

 

 

 ずばりログポースだろう。

 

 

 いきなり何を言っているんだ、と言われると思うので説明する。

 

 まずワンピースを見つけたロジャーが思わず笑ってしまった理由はなんだろうか。また繰り返される自分達には早すぎた、とはどういう意味なのだろうか。更に世界がひっくり返る、とはなんなのだろうか。

 

 ずばり、その発見したログポースのログがたまるまで1000年かかる、という代物だったからである。

 

 再び何を言ってるんだ、と言われると思うので説明する。

 

 まず、かつてリトルガーデンではログがたまるのに一年かかる、というものがあった。なのでそれよりもずっと長いものもあるのかもしれない、という風に考えてもらえたら、理解は案外してもらいやすいように思う。

 とはいえさすがにロジャーが発見してからあと1000年というわけではもちろんない。実際は発見時には残りあと25年ぐらいだったのだろう。実はこの25年というのも理由があるのだがそれは後述する。

 

 そんなこんなで、せっかく見つけたワンピースだったが、なんとあと25年も待たないとならない代物だった。そのような代物が宝物だったとは、過酷な冒険を続けてきたロジャーにとっては思わず笑ってしまうような物に感じたのだろう。そして当然そんな代物では悔しくて泣いてしまう者もいただろう。つまり自分達には早すぎた、とはロジャー達に足りないものや経験、知識がある、というわけでなく単純に時間のことだったのだ。また自分達が歴史に選ばれなかったのではないか、とも考えたことだろう。

 

 ちなみにロジャーが処刑されたのは24年前である。つまり物語的にはログがたまるのはそろそろではないだろうかな、と。実際あと30年とかの設定だとルフィ達もおっさんになってしまう。これは修行期間を2年に設定した理由も、作者がルフィの年齢を少年であることに拘っていたからである。そのためあと25年でそれは来年、は良い読みかもしれない。

 

 またロジャーがシャンクスに麦わら帽子を託したのも、25年後に生きている可能性が一番高いであろう、自身の海賊船員で一番若いから、だったのかもしれない。ちなみにシャンクスが後でその麦わら帽子をルフィに託したことについては少し触れる。ただシャンクスもその時までに生きられないだろうと確信する何かがあったのかもしれない。それは黒ヒゲとの戦争かもしれないし、古代兵器が原因になるかもしれない。実はシャンクスは本当は革命軍の一員で、いつか来るであろう世界政府との戦争で死んでしまうことを想定しているのかもしれない。

 ワンピースであるログポースが来年にたまる予定なら、世界政府も本腰を入れて狙う可能性がある。ログがたまる前に手に入れても島を離れればログがたまらなくなってしまうからだ。そうすると攻めるのなら今年なのだろう。ただどれにせよシャンクスはストーリー的にも死にそうな気がする。またセンゴクがシャンクスと繋がっているのは、お互いに空白の歴史を知っていて世界政府の本当の目的を食い止めたいからではないだろうか。

 

 

 では1000年の根拠とは何か。

 

 

 正直1000年とはものの例えになってしまうところもあるので、細かい時間に関しては当然特定はできない。ただそれは800年以上前の空白の100年、もしくはそれよりも前に作られたものなのだろう。ワンピースの明かされている歴史的に4000年前、というのも実はあるかもしれない。ただログポースがそんなに昔から存在したのかというとさすがに疑問が残る。そして現在ログポースが示す最後の島、とされている島は単純にそこでのログを集め終わった者が誰もいないから、とも考えられる。

 

 では発見時に残り25年だったとしてどうなのか。

 後にロジャーは不治の病にかかり、その25年後を見ることが出来ないと知る。そのためその夢を誰かに託すことを考えた。もしかしたらそれを見るのは自分の息子、かもしれないと初めは軽口も言えた。

 しかし世間的にはロジャーがワンピースを発見してしまったことで、皮肉にも海賊の時代が終わってしまいそうになってしまう。

 そこでロジャーは自身の冒険はここで終わってしまったが、そのログポースが示す島を見つけてくれる後継者を本格的に探すことにした。ただもちろん誰とでも、というわけでもない。そもそもラフテルまでの冒険は、ある程度以上の実力がないと出来ないからだ。

 まずは実力があり、もはや信頼のおける白ヒゲに当たったが、残念なことに白ヒゲはワンピースへの興味がなかったため断念。その他にガープにも当たったが、海軍であることなどから断念。結果ロジャーは誰か一人でも後継者になってくれる可能性を、自分の未来の世代にかけて海軍に自首したのだ。つまり自分の夢を自分で大航海時代を起こすことで、未来の世代の誰かに託すことにしたのだ。大航海時代が始まったことに海軍達が激怒していたのは海賊が増えたことももちろんだが、世界政府が静かにワンピースを狙うことが困難になってしまうからだ。そしてその過程でロジャーのように真の歴史を知る者が出てくるかもしれないためである。

 またもし思っていたような大航海時代が起こらなかったとしても、念のために、自身の息子(娘)を作っておき、ガープに預ければ代わりに自身の夢を叶えてくれるかもしれないとの予防線も張っておいたのだ。

 

 ちなみにロジャーのオレは死なねェ、のセリフに関してはDr.ヒルルクのセリフと一緒の意味かな、と。自分が起こした大航海時代による未来の世代が達成出来た時は自分の想いも連れて行ってくれるのだろうとの気持ちがあるのではないだろうか。

 

 更にちなみにこのログポースの概念は実は銀河鉄道999にそっくりである。初めて999を読んだ時すごく良い設定だな、と思ったのでワンピースを読んだ時にもすぐにピンときた。

 具体的には、鉄道が目的地である終点に着くまでは、全ての駅である全宇宙の星に一つ一つ止まらないといけない。そこでの停車時間はたった1日だが、その星とは時間の進む速さが異なるため数時間だけで良い星もあれば数日かかる星もある。当然各々の星々には相当の距離があるため、文明のレベルが全然異なるのも特徴である。また危険な星だからといって通過することはできないため、物語が動かしやすく、どんなに漫画の雰囲気に合わないようなぶっ飛んだ設定でも、そんな文明の星だから、で片付いてしまう良設定だったと思う。極論、作者が他の漫画を描きたくなっても、そんな設定のある星を作れば問題ないのである。

 

 

 では1000年のログポースの指し示す先はどこなのだろうか。

 

 

 これは正直Dの王国があった島では?ぐらいしか分からない。もし新しい島であるとしたなら、もはやそれは作者しか分からない。ある意味実はオールブルーのあるところかもしれないし、更に言えば月かもしれない。ただもし違ったとしてもその島に、もしくはあった場所にあるものは分かるのかもしれない。それは次のセリフから考察できる。

 

 そのセリフは、世界がひっくり返るのさ、である。このセリフに関しては、ログポースの示す先の島に古代兵器が隠してある可能性を示していると思う。もしくは古代兵器の使い方が残されているのかもしれない。

 世界政府はそれら古代兵器を用いて大海賊時代を終わらせようとしている。それは再び天竜人の天下を作るために用いられるのかもしれない。もしかしたら魚人とかの差別対象や海賊を、更に言えば再び増え出した能力者を全て消そうとしているのかもしれない。それを知った革命軍が戦争を食い止めるために世界政府を狙っている可能性もある。ただもしそれを達成した時に、ブルックの飛ばされた国のように、革命軍が逆に世界政府や天竜人を差別するような世界を作らない、と信じるしかないのだろう。ただ革命軍が結局Dの一族の末裔であるのであれば、天竜人への復讐はそれで成されるのかもしれないが。

 

 

 

     ルフィの夢について

 

 

 

 そこまで考察してみるとルフィの夢もなんとなく想像が出来てきてしまう。

 

 

 

 それは、誰も見たことのない島を冒険する、である。

 

 

 説明しよう。

 

 突然だが、海賊王への世間的な認識としては、もちろん厳密には異なるだろうが、グランドラインの踏破、つまり全ての島を冒険した、もしくは誰も辿り着けなかったこの世の果ての島まで冒険をした、という意味も含まれると思われる。ただ前者だとルフィのルート的に(話数的にも)厳しいと思うので、認識としては後者の方が近いだろう。

 

 ルフィの夢の話しに戻る。

 誰も見たことのない島とは、どういう意味なのか。それはログポースが示す島を最後まで冒険した海賊王すら、見たことも冒険したこともない島である。つまりルフィの夢とは自身が海賊王になったその先の話しをしているのである。

 エースやサボのような子供達が、海賊王になりたい、みたいなことを夢として語る中でルフィだけが一人、自分が海賊王になることを信じて疑わず、むしろその先のことまで考えていたのだ。エースのように、は…?となってしまう反応や、サボの笑い転げる反応も3人の中で一番弱いくせにお前何言ってんだ、との意味を含んでいれば当然なのかもしれない。

 

 そう考えると、戦争編でエースの言ったルフィの夢の先、とはルフィが海賊王になってからの冒険のことを指しているのである。

 

 つまり1000年ログポース(遊戯王っぽいね)が示す、海賊王であるロジャーすら見たことのない島を冒険することがルフィの夢なのだ。ちなみにロジャーも同じ事を言っていた、という。ただロジャーはある意味ラフテルの発見で自分の夢を叶えてしまったのだ。結果としてまだ発見されていない、ロジャーが見つける事の出来なかったその島は、次の世代への夢として取っておくことになってしまったのだろう。もしかしたら支配に興味がないと言っていたロジャーも、誰も見たことのない島を冒険したかったのだろう。

 

 もしシャンクスが、ロジャーから、その誰も見たことのない島についての話しを聞いていたとしたなら、ルフィの夢を聞いた時には、ロジャー船長の後継者になるのはコイツなのかもしれない、と麦わら帽子を託したのは酔狂ではなく当然のことだったのかもしれない。またシャンクスの次の世代にかけてきた、とのセリフとも合う。

 

 

長くなりましたが、基本的にはこれで終わりです。残りは最終回予想含めての感想です。

 

 

 昔から作者がワンピースとは概念ではなくちゃんとした物である、と言っている以上それは物なのだろう。ただその物が誰も見たことのない島での冒険へと導く物、だったとしたならば、それはそれでとても少年漫画っぽいなと思います。そして必死にワンピースとはどんな物なのか、と考察しても、まさかの概念を導く物であったとしたなら、それを当てるのは中々難しいと思います。この考え方はこれから考察する上で少し胸に留めておいてもよいのかな、と思いますがどうでしょうか。

 

 最後にはなりますが、自分としては海賊王になったらルフィが冒険をやめて、富・名声・力とかを得ることを喜ぶのを見るのは正直少し違和感があります。それよりかは、もしワンピースの最終回が、ルフィが仲間たちと楽しそうに次の冒険に行こうとしているシーンの方が自分は納得できるのかもしれません。もちろん少し打ち切りエンドっぽいとは思いますけどね。ただワンピースを発見したご褒美とは見たこともないようなワクワクする冒険である、そんな考察はどうでしょうか。少なくとも仲間との友情や、これまでの冒険の思い出、とかと違い、ルフィ達が未来へ向いている考察かな、と思います。

 

 

 こんな長文を読んでいただきましてありがとうございました。読みにくいところや足りないところも沢山あったと思います。それはもし指摘していただけたら少しずつでも直していきたいです。

 もし感想・質問や誤字・脱字等とかありましたらコメントお願いします。返すのは遅くなってしまうかもしれません。なるべく頑張ります。

 きっと矛盾点や無理やりすぎるだろ…ってところも多いとは思います。なので最後まで待ちきれない人達への読み物、ぐらいの認識でも良いと思います。ただ言えることは、どんな考察も最終回を迎えたらできませんからね!

 

 

   終わり

 

 

以下、結論だけ。

 

Dの一族とは…devil、つまり悪魔の実の能力者集団のこと

ワンピースとは…ログポース

ルフィの夢…誰も見たことのない島を冒険する、こと

最終回…ルフィが仲間を連れて誰も見たことのない島を冒険するシーン

 

 

  本当にここで終わりです。

  ありがとうございました。

 

 

 

漫画【バチバチ】感想

 

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↑表紙はとても惹かれない。ヤンキーものにしか見えない。

 

漫画 バチバチを読み終えての感想を書こうと思う。

 
あらすじはすごく簡単に言うとヤンキーが力士になる、というものである。
 
皆さんは相撲と聞いてどう思い浮かべるだろうか。
自分も皆さんと同じで、ダサい、国技、日本人横綱がいない、みたいな感じだった。
やっぱりサッカーや野球の方が周りと話しも出来るし、国対抗戦は燃えるものである。
 
昔弟に最近読んでる漫画ある?と尋ねたらバチバチ!と返ってきて、相撲かよ、ってかタイトルダサいな、としか思わず読もうともしなかった。
それでも何故か印象に残っていた国技相撲を描いた漫画。
最近作者が急逝してしまったとの事でニュースになっていてまた思い出した。
自分はそれでも読もうとは思わなかった。
ましてや結果として途中で終わってしまったのだから尚更である。
 
最近になり自分は漫画をアプリで読む事も多くなった。空いた時間で何気なく開いたマンガアプリで無料で読めることに気付いた。
それでも読もうとは思わなかった。
それはこの漫画が最後までは無料では読めなかったからである。
 
今更だがこの漫画は「バチバチ」「バチバチburst」「鮫島、最後の15日間」の3部構成となっていて、そのマンガアプリでは最後の鮫島〜は無料になっていなかった。
 
それでもヒマだったし、期限もあるだろうから読んでみた。
 
面白過ぎた。熱過ぎた。
 
今までのチケットを吐き出して読み進めてしまった。この漫画は凄い。無料分を読んだ後も鮫島〜は速攻で漫画喫茶で読み切ってしまった。それぐらいの勢いがある。
 
自分がこの漫画を読んでいて良いな、と思うのは相撲をただのスポーツとしてではなく、きちんと神事としての視点から描いている事だと思う。だから他のスポーツ漫画とは違う圧倒的な神々しさを感じるのである。
 
始めは鮫島が入門した部屋の先輩はどうみてもはじめの一歩の鷹村だろ、と思い、あぁ、あの流れのよくあるやつか、とも思った。
まぁ、読んでても実際鷹村なんだけど、そんなのは全然関係なかった。
 
横綱は神、度々この漫画ではそのフレーズが出るが、そんな視点は自分には一切なかった。ある意味で相撲界のチャンピオン、ぐらいにしか思ってなかった。
でも読んでるとそうではないとはっきり分かった。横綱にしかすることの出来ない神事もあり、また他の力士から扱いの別格さ、等いかに横綱というポジションが特別なものであるかと感じた。
 
自分は正直相撲を漫画、というのはムリだと思っていた。それはやはり一戦毎の短さであると思う。あの短さだと同じような取り組みも増えるし、試合前後の駆け引きだけがいたずらに長くなるのだろうと思っていた。サッカーや野球のように試合が長時間だから出来る点の取り合いやハプニング、途中交代でヒーローが出てきたりするようなドラマは起きようがないと感じていた。
 
でも違った。全然違った。
 
同じような取り組みはなく、なんなら後半に至っては単行本1冊をまるまる使ってしまう程に長い。それでいて長さを感じさせないのだから凄い。最近の漫画によくある回想の連打とかでなく、きちんと取り組みを描いている。魂が込もっている、という言葉が本当に実感できる。
 
もちろん相撲ってそんなに血が飛ぶっけ?とか思ったりしなくもないが演出としては良いのだろう。
 
突然だがこの漫画ははじめの一歩と前半は少しイメージが被るように感じる部分も多かった。
主人公のタイプや境遇こそ違えど部屋の先輩達の雰囲気や同期の強烈なライバル達、ケガでの引退など感じる部分も多かった。ボクシングも相撲と同じ個人戦であることもあるのだろう。しかし相撲はボクシングとは違い、無差別級の競技である。それはつまり同部屋の兄弟子達と戦うこともあるということだ。一歩では各々のドラマを別階級毎に描いていた。その度に主人公が実質入れ替わっていた。しかし、バチバチではいずれも家族でもありライバルでもあるとしても描いている。それはつまり言うなれば主人公同士が戦うということもあるということである。それが凄く熱い展開なのである。
 
また他の漫画との比較になってしまうが火ノ丸相撲との比較もしていきたい
火ノ丸相撲ではよく圧倒的な力量差を描く場合電車道で取り組みが終わることが多い。
自分はなぜか火ノ丸相撲は少しだけ読んでいたので、バチバチの取り組みもそういう感じなのかと思っていた。しかしバチバチでは電車道は一回だけである。そう一回だけなのだ。力量差を描く場合に、読者に印象付けるためにも電車道を使うことは簡単だ。正直火ノ丸相撲では電車道を乱用し過ぎだと思っていたので驚いた。同じ競技なのかと思う位出てこなかった。素直に言うとこれは演出力の違いなのだと思う。その為バチバチは本当に同じような取り組みがないのだと感じられる。ちなみにバチバチでは圧倒的な力量差を描く場合相手が張り手などで吹っ飛ばされることが多い。ある意味ワンパンに近い。個人的にはこっちの方がリアルにそして迫力を感じられたのだがどうだろうか。
 
大相撲では一場所当たり15日間の取り組みが行われる。バチバチでは対戦相手全員のドラマが描かれる。そして負けられない理由も描かれる。つまり15日連続でボスと当たる感じである。他の漫画なら途中経過は省いてしまうだろう。でもこの漫画はそれを良しとせず、相手全員をきちんと描いている。全員ボスの為、中だるみとかもない。凄い。一戦毎に熱くなれる。
他の漫画だとジャイアントキリングがまさにそんな感じである。リーグ戦のなるべく全試合を描いている。もちろんこれはとても大変で、サッカーの長い試合を描き続ける事は似たような展開が増え、マンネリしないように誰かを欠場させたり、代表戦などを挟むことでレギュラーメンバーを変えたり、ライバルとも同じチームになる、などする必要があった。試合数も多い為反省回では敗北もある。とはいえ結果として、試合展開自体は近いものも多かった。
それを考えると相撲は全試合描くのに最適なのではないかと思わされる。相手によって戦い方も異なるし、長時間の試合故の展開のマンネリも少ない。なにより毎試合相手が異なるのも良い。因縁の相手も多い為連勝し過ぎだからここらで不調にして負けとこうか、とかもない。一戦の重さも感じられる。そもそも大きなケガでもしたら欠場である。何試合か出られないとかではない、リーグ終了である。
 
身体の大きさ、これはこの漫画における主人公に与えられた大きな問題である。漫画でよくある背が低いとか、才能はあるがメンタルに難ありとかではない。他の漫画ではそれを埋める何かがあったりするのだが、この漫画では一切ない。それが痛い程に描かれている。それを埋めているのはただただ相撲が好き、という一点である。これも凄い。主人公がヒロイン目当てとかで入部して、特に思い入れもないものを始める、とかではない。鮫島は初めから相撲が好きだった。それを認めるようになるまでは少し時間がかかるが、ずっとストイックだ。ちょっと部活サボってゲーセンに、とかいう展開はない。考えているのは相撲に関してのみ。最終的には兄弟子として自覚も持ち、他人の世話などもするが、基本的にはずっと稽古。良くある日常編など本当にない。それでも鮫島だからしょうがない、むしろそれで良いと思ってしまう。後援会との時間も始めは時間のムダだと切り捨てていたが、次第に自分の環境への感謝を感じて大切にしていくようになる。大人になっていくのを、人としての器が大きくなるのを実感する。それが他の漫画では突然覚醒していくだけで終わっていくのと大きな違いに感じる。身体は小さくても器だけは負けない、そんな魅力的な主人公になっていく。
 
この漫画は思った以上に現実的な為、やはり横綱になるのは厳しいのだろう、似たような体型の力士が引退し、鮫島もタイトル通りに引退することになるのだろう。全試合全力、身体はなくても戦うには当たり前なのかもしれないが相手への礼儀も踏まえての取り組みに逆にそれが痛々しさを感じる。どれだけ頑張っても横綱にはなれない。部活で大会を優勝するのとは訳の違う目標だからである。
 
14日目、横綱との一戦を前にこの漫画は終了した。終了してしまった。どうやら誰かが引き継いで描くとかもないようだ。実際読んでいて思うが、誰も引き継げないと感じるからこそのここで終わりなのだろう。15日目は誰と戦うのか、神にどれだけ近付いているのかなどは分からぬままに終わってしまった。あまりにも残念だ。後半は魂を込めるなんてレベルではなかった。未完にこそなったが圧倒的な名作である。長くなったがまだ読んでない方がいてこのブログをきっかけに、バチバチシリーズを手に取っていただけたらとても幸いである。